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下北沢に着いたときはまだ午後の六時くらいでした。店は駅を出てしばらく歩き商店街を過ぎてから住宅街に入る辺りにありました。隠れ家的割烹といった感じの居酒屋というにはすこし高級感のあるお店でした。先生はそこの常連の様で店主と軽くあいさつを交わしてから、わたしたちは奥のすこし仕切りのあるプライベートなテーブル席へと案内されました。
「コースを頼んだけどよかったかな」先生が訊きました。
「もうそんなに食べられませんけど」腹部を軽くたたきながらわたしはいいました。
「いちばん簡単なコースだよ。ここの料理はどれもちいさいから心配しなさんな。それにしても菊川くんはやせているな。きちんと食べているのかい」
「あまり太らない体質なんです。でも普段お昼をきちんと食べていないからかもしれません」
「コンビニのおにぎりだけとか」
「そのとおりです。わかりますか」
「わたしも学生もみんなそんなものだよ」
笑って先生は芋焼酎のお湯割りを飲みました。わたしは梅酒をいただきました。
「どれもおいしいです」わたしは驚いていいました。
「だろう?」先生はまたずいぶんと得意気な様子でいいました。ちょうど近くをとおりかかった給仕の女性をよびとめて、
「おいしいってよ」伝えました。給仕の女性は、
「まあうれしい」柔らかな笑顔をわたしによこしました。
「結婚式の食事なんてね、脂っこくて濃い口で食べてられないよ」
「先生、さっきはあんなにもおいしいおいしいといっていたじゃないですか」
「それはきみがウェディングプランナーの仕事をしているから気を使ってきょうの結婚式を肯定してみただけだよ」
先生はわたしが想像していたとおりのことを明かしました。先生はいつもこうでした。隠しごとができないというかばか正直というか、
「あのときはじつはこうこうこうゆう理由でしかたがなくああゆううそをついたのだ」いうようにすべてを白状してからでなければ次へすすめないようなひとでした。長い目でみればとてもうそを突き通しつづけられるようなひとではありませんでした。
「仕事は順調かね」先生が訊きました。わたしがあいまいに答えると、
「大変な仕事だそうだね。ウェディングは」つづけるので、
「先生、もう仕事の話はやめませんか?」わたしが提案すると、
「それは申し訳なかった。たしかにもうウェディングの話はじゅうぶんだな」
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