共通の秘密

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「ぼくが大学院へ進む意志を伝えたとき、妻は『いまは勉強よりお金でしょう』いった。『あなたが就職をしないならわたしは実家に帰るしか方法がありません』いった。いま思えばすごく当たり前のことだ。彼女は現実的だった。わたしとちがって子どものことをすでにしっかりと考えていたんだ。いまになってからでは遅すぎるということはわかっているが、わたしはそのときの彼女の気持ちが痛いほどよくわかる……」先生は髪をぐしゃぐしゃにしてはかきあげ、ぐしゃぐしゃにしてはかきあげるという動作を反復しながら、 「しかしそのときのわたしにはただたんに、自分に会社勤めができるとは思えなかったのだよ」先生はうつむいたまま「臆病でわがままだっただけなのかもしれないがね……」  わたしはじっと先生の話を聞いていました。それがほんとうに真剣な話をするような声のトーンでしたから。 「いまでも自分に会社勤めができるとは思っていないよ。まあじっさいに試したこともないのだからそう断言できることでもないかもしれないけど、いまこうやって大学に残って生活ができているということで、やはりあれは正しい決断だったのかもしれないね。あ、もちろんここでいう『あれ』とはぼくが大学に残ったということで離婚のことではないよ」笑いながらいいました。 「もしかするとあのタイミングで離婚をする必要はなかったのかもしれない。金を借りるとか、アルバイトを増やすとか、なにかしら他に方法があったのかもしれない。それでも結果的には、これももちろんその後のぼくのキャリアのためにはということなのだけども、あのとき離婚をしていたことはよかったともいえるんだ」先生はわたしの目を見つめながら、 「ぼくが日本の大学院を卒業というころになってイギリスのケンブリッジ大学に研究留学をすることになったんだ。もし……」一瞬ためらってから、
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