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共通の秘密
あの日、わたしが先生に会ったのは大学を卒業して以来三年ぶり、ミキの結婚式でした。相手の方のことはよく覚えていません。たしか、郵便局員だったと思います。ミキとわたしは先生の英米文学のゼミでいっしょに学んでいました。結婚式の招待状が届いたとき、わたしはうれしく思いました。しかしそんなわたしの喜びとは裏腹に、その日の先生はやや不機嫌な様子でした。
「まあ、それにしてもイヤになっちゃうよね」
ひととおりスピーチが終わり、食事がはじまったころに先生がいいました。
「こんなさ、結婚式なんて、そもそもいったいだれが特をするのかね」
いってわたしにビールをすすめました。
「呼ばれるほうもいい迷惑だろう? いやね、わたしはいいのだよ。だけどきみみたいな若い子たちにとっては、ご祝儀代だって大変な額だろう?」
いって先生はビールをあおりました。わたしはただあいまいに、
「そうですね」いう感じで答えました。
「これもあれだな。いわゆる、『世間体』というやつだ」
先生は右手の人差し指を立てました。なにかを語るときにするいつもの先生の仕草でした。たった三年ぶりにもかかわらず、わたしはそれをひどく懐かしく感じました。
「結婚式なんてね、ほんとうに祝福してくれる、親しい友人だけですればいいんだよ」
先生が自分でビールを注ごうとしたのでわたしはあわてて瓶をとりました。
「すまんね」先生はグラスを傾けながら、
「無理をせず、もっとカジュアルにすればいいのだよ。たとえば、ちいさなフレンチレストランなんかを貸し切ってね。親族はまた別の機会に、親族だけでお披露目会でもすればいい。だいたい、若者だって年寄りのまえじゃ、気を使って楽しめないだろう?」
わたしはまたあいまいに、「そうですね」答えました。
「あとご祝儀だ。あれはしかし、なんであんなにも高いのだろうね」
うなずくわたしに先生は、
「菊川くん!」
とつぜん大きな声でわたしに呼びかけてビールをすすめました。
「あ、ありがとうございます」
わたしはグラスにすこし残っていたビールを飲み干しました。先生はわたしの様子を見ながらほほえんでいました。そして新たにビールをコップのふちいっぱいまで注ぎました。
「きみたちは三万円だろう?」先生が訊きました。
「ご祝儀のことでしょうか?」
「そうだよ、菊川くん。きみ、ちゃんとひとの話をきいているかね?」
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