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先生はあの日も仕立てのよさそうなスーツを着ていました。田舎のわたしの父とちがい、先生は自分がひとにどう見られているかをいつも気にされているようでした。英米文学を教える大学教授らしい格好というものがじっさいにあるのかはわかりませんが、そのようなものを相当に意識されていたと思います。クラシックでありながらも都会的で洗練されたスタイルとでもいいますでしょうか。長身ながらもスリムで顔立ちも整った先生は女子学生にもずいぶんともてていたと思います。もちろんそれは、先生のそのやや面倒くさい性格に彼女たちが気付くまでのことだったのですが……
「だいたい小林ミキくんだって、なぜ、きょうわたしを招待したのだろうか」
先生がまたこの結婚式についての根本的な疑問を投げかけました。わたしは話がまた次第に現代日本の結婚式や披露宴のすべてに対する批判になっていかないように、
「先生、きょうからミキは『小林ミキ』ではなくて『大橋ミキ』ですよ」
まったく合致しない返答をしました。先生はしかし、
「菊川くん、きみね、そんなことはどうだっていいのだよ」いってから、
「小林ミキくんはどうしてわたしを招待したのだろうか……」
「金か……それともただの人数合わせか……」
「やはり急な欠席があったのだろう……」
「そうだろうな。あれはけっこう急な招待だったから……」
ネガティブな独り言をつづけました。わたしは配ぜん係を呼んで白ワインをふたつ頼みました。しかし先生は配ぜん係の女の子に呼びかけて、
「赤にしてください」伝えました。
先生にとってはいっしょに食べるのが魚だろうが肉だろうがそんなことはどうでもいい「わたしは赤ワインが飲みたいのだよ」いった様子でした。
わたしはそこに先生の、ミキが「小林ミキ」でも「大橋ミキ」でもどうでもいい、先生にとってのミキはこれまでもそしてこれからも「小林ミキなんだよ」いうロジックを感じました。
「わたしはね、結婚の際に姓を変えるというのは正直もうやめたほうがいいと思っているのだよ」先生がいいました。
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