第1章

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 思い出しただけで悪寒が俺を包んだ。記憶を探れば探るほど、鏡を見ているような毎日を送っていたことに気付かされる。少しずつ、けれど急速に心がかき乱されていくようだ。けれど、これを口外するわけにもいかない。昔私の隣に住んでいた人のように、不要品として処理されてしまうからだ。  なぜ忘れていた。前の隣人は、俺に疑問をぶつけてどこかに行ってしまったじゃないか。その時は「コイツはなにを言ってるんだ」と思っていたが、昔の隣人が必死に訴えていたことの意味がよくわかった。  震える手でドアを押して部屋に入った。  我慢しようと自身の身体を両手で抱くが、きっともう耐えられないだろう。  そう思ってしまうと居てもたってもいられなかった。左右上下を囲まれてしまったという気持ちに支配された。  財布とスマフォだけを持って、よろめきながらも部屋を飛び出した。  同じ速度を維持したまま駅へと向かう。すれ違う同じ顔を見て嫌悪感を覚えた。自分と同じような顔、同じような身長、まるで鏡を見ているようだった。  いや、きっと鏡なんかよりも酷い。現実にここにいて、触り、会話ができるのだから。  駅の場所は知っていた。当然だ、何回も使った覚えがあるんだから。 「本当に、使ったことがあるのか?」  自分自身に問いかける。氏名が番号であることにさえ疑問を感じなかった。それが普通だと思っていたのだ。 「この記憶は正しいのか?」  信じられなかった。自分も、他人も、世界も。  年齢さえも信じられないじゃないか。俺はさっきまで自分が二十代だって思ってた、隣人の顔だって、俺と同じだと思ったことなんか一度もないのに。  大きな歩幅で歩いていた。それはいつしか早歩きになり、次第に歩調が速くなっていった。  駅が近づくにつれて霧が濃くなってきた。  やがて、前後左右さえもわからないほどに周囲が白んでいることに気がついた。 「やはり四十年が限界か」  その言葉を聞き、弾かれるように背後を振り向く。  刹那、大きな音と共にやってくる衝撃。腹部に手を当ててみると、そこには真っ赤な液体がじわりと広がっていた。  いくつもの足音が聞こえてきた。気がつけば、目の前にはいくつもの同じ顔が並んでいた。 「識別番号420078。確かあと数ヶ月で四十年目だったな。このバグはいつになっても治らないか」 「バ、グ……?」
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