第一章:琥珀の中の虫

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***** 「ねえ、パパ」 鍋から湯気立つスープを皿に装いながら、ふと尋ねてみる。 「ずっと昔、バーリでお隣に住んでたディーノって、どこに行ったの?」 問い掛けと共にふわりと温かなトマトの香りが広がった。 パパはバーリの街中で暮らしていた頃のことを単に「昔」としか言わないが、私にとっては自分がまだ生まれていなかったという意味で「ずっと昔」のことだ。 バーリの街も、そこでパパたちが住んでいた家も、直接には目にしたことがない。 ガチャリ。 音に驚いて見やると、パパは静止ボタンを押された映像さながら、皿の上の肉をフォークで突き刺した格好のまま、虚ろな灰色の瞳を皿の向こうにプリントされたテーブルクロスの向日葵の辺りに注いでいた。 先月、グラスを落としてワインをこぼし、黄色い花の半分がバーミリオンに変わってしまった箇所だ。 その時と同じく、今、フォークを握るパパの手は微かに震えている。 「どうしてそんなことを」 こちらに向き直った顔はいつも通り穏やかに微笑んでいた。 でも、こんな風に質問に質問を返すのは、こちらの問い掛けが本当は望ましくないからだ。
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