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これは、一雨来る。
「アンブラ」
二階に干した洗濯物を取り込もうと立ち上がったところで、パパの声が飛んだ。
「キスしておくれ」
黒とグレーのタータンチェックの長袖シャツを着た両腕を既に開いている。
歩み寄って背を屈めると、こちらがパパの額にキスする前に、右の頬に熱く濡れたものを押し当てられた。
と、思う内に、左の頬にも口付けられ、キスを返す前に肩を抱きすくめられる。
「私の宝物」
囁く声と共に、大きな手が緑色に染め上げた私の髪を撫ぜる。
骨ばったパパの肩からは、トマトのスープとオレンジの柔軟剤の入り混じった香りがした。
サーッと雨の降り出す気配が背後のガラス戸から押し寄せてくる。
「もうお前しかいない」
それは雨音に紛れるほどの声だったが、なぜか、先ほど耳にした「待ってくれ」というあの男の叫びと似通った響きを持っているように思えた。
「私もよ、パパ」
囁き返して、パパの左腕のバンドに付いた飾りをそっと撫でる。
触れればひやりと滑らかな、カボションカットの琥珀だ。
オレンジが勝った褐色の石の中には、小さな蜂が一匹封じ込められている。
甘く透き通った樹液に丸ごと飲み込まれた虫は、半ば翅を開いた格好のまま、もう永久に動くことはない。
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