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男は「わかった、許して!許して!」と叫びながら後方へ何かを投げた。私の足元に落ちたそれは、海の家のカウンター近くで売っている、空気の入っていない浮き輪だった。どうやら彼が万引きしたらしい。ロケットのように飛び出して店員の腕から逃げた男は、あっと言う間に人混みへ消えていった。ポカーンとする周囲をよそに、店員は何事もなかったかのように海の家の暖簾をくぐり、店へ戻った。その時の目は麗しいほどの漆黒。腕も、元の綺麗な腕。血管なんて浮いていない。
「ママ・・・」
いつの間にかトイレから出てきていた息子が、手を握ってきてハッとした。足元の浮き輪を拾い、店に返さなきゃと思った。
「あの、これ・・・」
入り口近くにバイトらしき男女の店員がいる。男の方に浮き輪を差し出すと、「あ、え・・・」と狼狽えながらも受け取ったので立ち去ろうとしたとき、2人の会話がちらっと耳に入った。
「それにしてもさあ、もうちょっとバイト増やしてくれてもいいと思わない?」
「本当、バイト2人で回すのキツいよな」
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