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廊下を歩いてくる二人の足音が聞こえ
る。僕は期待と不安に緊張していた。
玄関の前で足音が止まった。彼女の声
が聞こえた。
「ねえ、やっぱりやめよう?」
「大丈夫だって」
彼氏は、玄関のドアをノックした。も
ちろん、返事はしない。
「ねえ、いないよ。戻ろう、トシ」
ドアノブがガチャリと回った。
「あれ、鍵開いてるぞ?」
そうなのだ。この部屋の玄関の鍵は、
生前から壊れていたのだ。それを大家さ
んが横着してそのまま放ったらかしにな
っていた。
「や、怖いよ。ね、トシ」
彼氏は彼女の声には耳を傾けずに、ゆ
っくりと玄関の扉を引いた。それから手
にした懐中電灯を部屋の中に差し向けな
がら、入ってきた。
彼女も彼氏の背中に隠れるように、恐
る恐る中を覗き込んだ。暗闇の中でも、
僕は二人の顔をはっきり認めた。
死んだ者に光はいらないから、僕は暗
闇の中でも目はよく見えた。彼氏は顔中
ピアスとタトゥ、鍛えた体がTシャツの
下から、これでもかと言わんばかりに筋
肉を主張している嫌味なタイプだった。
でも、こういう男でないと女は転がせ
ないに違いない。素直に羨ましい。
彼女の方は、想像とは違ったが、茶色
いセミロングが、小振りの丸顔をアニメ
の美少女キャラにでもいそうな風に縁取
って、ひところ流行ったアヒル口にパッ
チリした目元とかわいい小さな顎が、何
とも男好きのする印象だった。
僕は、即座に憑りつくことを決めて、
彼氏の背後に飛んで回った。だが、どう
やって、毛穴や汗腺から沁み込めばいい
のか要領が掴めなかった。
その間も、彼氏は、懐中電灯で部屋を
アチコチ照らしつつ叫んだ。
「誰か、いんのか?」
その途端、半開きの押し入れの中から、
一匹の猫が飛び出し、ぎゃっと叫んで、
二人の足元をすり抜け、外へ駆け出して
行った。
その瞬間である。彼氏も心底驚いたの
だろう、魂のガードが緩んだのかもしれ
ない。ともかく僕は、彼氏の中に沁み込
めたのである。
彼氏と彼女は、今のが猫だと知って、
とたんに安堵の大笑いになった。
「何だよ、猫かよ」
「だから、爪を立てるような音がしたわ
けね」
彼氏の目を通して、初めて間近で見た
彼女の顔は、満点の星を映した泉の水よ
り美しかった。
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