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釣られた魚の様に口をあんぐりと開け、目も魚の様に見開かれている。
その魚の目は焦点が合っていない。
「今…何か、話していましたよね?」
女の口がカクカクと動く。
いつから居たんだろう?どこから聞かれていた?
「初めまして。201の田中と申します。何も分からず失礼な事を言ってしまい、申し訳ありません」
田中さんが身をずらして挨拶すると、彼女の視線もつられて動く。
最初から田中さんを見ていた様だ。
「あ…いえ、こちらこそ突然失礼しました。でも、その…」
女は口ごもり、やがて吐きだす様に呟いた。
「誰と話していたんですか?」
「あ、こちらの202号室の方です」
「202号室の、誰ですか?」
「え?202号室の…えっと」
「202号室には、誰も住んでいませんよ」
絶句する田中さんに、捲し立てる女。
「私、入居前に言われたんです。202号室は空いているけど貸せないって。言葉を濁して理由はハッキリ言われませんでしたけど、他の部屋なら問題ないからって。田中さんが入居する時は言われなかったんですか?」
「でも…じゃあこの人は?」
「この人って誰ですか?ここに誰かいるんですか?」
「え…?」
不穏な空気が二人を包む。女はごくりと生唾を飲み込んで、声を絞り出した。
「…今、誰と話していたんですか?」
その後、田中さんと203号室の女はすぐに引っ越して行った。
道連れに出来るほど長く住み続けてくれる人はほとんどいない。
田中さんには期待していたのに、引っ越してしまうなんて予想外だ。
まあ良い。また仲良くしてくれる人が引っ越して来るのを待とう。
俺には時間が十分にあるのだ。
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