黒いマタニティドレス

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こうじの家は、光市内の一戸建ての家で両親と姉ひさことこうじの4人で暮らしていました。 こうじのきょうだいは、他にも11歳年上の兄(29歳・市役所勤務)がいますが、こうじの兄は兄嫁(42歳)とふたりの子供(長男1歳)と兄嫁の連れ子(女の子・5歳)と一緒に光市内の別の場所で結婚生活を送っていましたので、実家の両親とひさことこうじとは別々に暮らしていたのでありました。 こうじは、昭和56年に山口県光市の生まれとなっていますが、ひさこと兄とは母親が違うきょうだいなのでありました。 こうじの実の母親は、広島市的場町のナイトクラブで働いていました中国人ホステスの女でありました。 こうじの父親がホステスの女を私物化した上に妊娠騒ぎを起こした事件が発生した時、ひさこは大学受験を控えていて、気持ちがピリピリとはりつめていた時であったのと同時に、兄も難易度の高いラサール(進学校)の中等部の受験を控えていましたので、なおもピリピリとはりつめていた時でありましたので、父親が妊娠騒ぎを起こしたことで家庭内はさらにギスギスとした空気で淀んでしまったのでありました。 ナイトクラブの店長は、そうとう怒っていまして、こうじの母親に電話で『オドレのダンナがうちのかわいいホステスを私物化した上に子をはらませたのでどうオトシマエをつける気なのだ!!』と怒鳴りまして、損害賠償を払えと凄んで来たのでありました。 こうじの母親は、父親が起こした妊娠騒ぎの後始末のために学資保険を解約しまして、ナイトクラブに損害賠償を払いました。 ひさこは、大学受験をあきらめて働くことを選ぼうとしていましたが、高校生活を続けて行くのがイヤになってしまったことから20単位残して高校をやめてしまったのでありました。 高校をやめてしまったひさこは、生活のために働くことを選んだ後、広島市内にありますお好み焼き屋さんで働いていました。 しかし、毎日のように光市と広島の間を山陽本線の電車で往復する日々の繰返しの生活に物足りなさを感じてしまったひさこは、3ヶ月でリタイアをしてしまったのでありました。 外で働くことをあきらめたひさこは、結婚することを選んで両親からのすすめでお見合いをしましたが、断られてばかりが続いていたのでありました。
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