第1章

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 私鉄ローカル線の駅前商店街に、地元のみならず、近隣市町村にまで、有名な手芸店がある。 その名は『坂崎手芸店』。 地味な名前のその店は、間口が狭いが、中は意外に広い。 一階には色とりどりの糸、布地、リボンなどが、消防法に引っかからない?と不安になるほど並び、突き当たりの階段を上って二階に行くと、毛糸や刺繍糸、フェルトにビーズなどが雪崩のように押し寄せてくる。 その雪崩をくぐり抜けると、二階の最奥部に小さなスペースがある。 細長いテーブルが置かれたその場所が、この店の唯一の店員、手芸男子、坂崎保の定位置だ。 少し長めの癖のないサラサラの黒髪、黒縁の眼鏡の奥には、くっきりとした二重瞼に大きな真っ黒い瞳。鼻筋はくっきりと通っているのに、その下の唇はバランスを崩してぽってりと肉厚で、肉感的な色香を匂わせている。 近隣の公立高校初代手芸部部長、三流国立大学社会学部卒業、行政書士の資格有。 大学卒業後、司法事務所に就職するも、二年目にフェイドアウト。 その事務所所長と姉が結婚する時に、不満退社。 姉が独身時代から細々と経営していた、祖母の残した手芸店に唯一の店員として就職。 自他共に認めるシスコン。 筋金入りの手芸男子。 ニット、裁縫、刺繍など、オールマイティーにこなすが、一番好きなのはキルト作り。 ひそかにキルト作家に成りたいと願っているが、自分にオリジナルを生み出す才能がないことも、バカじゃないから、よくわかっている。 姉が書店男子に因んで、店名入りの濃い緑色のエプロンを用意したが、 「男がエプロンをつけるなら、死んだ方がましだっっ!」 と徹底拒否。 家で料理をする時も、エプロンは絶対につけない。 週に二回開かれる『保の手芸教室』は二ヶ月先まで予約で一杯。 平日は奧さまからおばあ様まで、週末は小学生から女子高生まで、と守備範囲は広い。たまに男子が混ざると、保が特別席を作って、熱烈歓迎する。 飲み友達は、高校手芸部時代からの付き合いとなる、ニット男子の佐々川力也、刺繍男子の楠木廉、さらにたびたび、料理男子の山田篤志が乱入してくる。 口癖は「俺はバカじゃないから」この後に、「身の程はわきまえている」や「もう夢見る年頃じゃない」など、ネガティブな言葉が続く。 「小さくまとまらないでいいのよっ」と姉にいつも背中を強く叩かれている。
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