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続いて小石に手を伸ばす。だが、小石はどこから見ても小石に過ぎず、やはり、事件に直接関係があるとは思えなかった。
「……里村さん、他のプレハブハウスの周囲でこれと同じくらいの大きさの石は見つかりましたか」
「はい、全部で3個見つかりました。作業員の話では大きな石があると作業の邪魔になるし危ないので、見つける度に拾って緑地帯の方に投げ捨てているという事でした」
これでなぜ、敷地内には大きな石が殆どなく、緑地帯にそれらがゴロゴロしていたのかは分かったが、そういった状況下なら大きな石に出会える可能性は相当低いようには思えた。
小石を隣にいた尚也に渡して、次に死体検案書(解剖報告書)を見る。深瀬から聞いた通りの事が2ページに亘(わた)って書かれてあり、右腰のアザについては『皮膚出血の状態から見て比較的最近に出来たものと思われる』との医師の所見が述べられてあった。
最後にA4大のコピー用紙が3枚の通話記録を手に取る。通話記録には通常、日付、相手の電話番号、『14:03~14:10』というように掛けた時間と通話時間が記されるが、相手側の名前までは記載されない。
見れば電話番号の下に捜査員が記載したと思われる相手方の名前が小さく書かれ、同じ電話番号には同色のラインマーカーが塗られてあった。中でも一番多く目だったのは緑色のラインマーカーで塗られた『03』で始まる電話番号、右下には鹿鳴館クラブとの記載があり、通話が全て1分以内で終わっていて、最後に掛けた事件前日、5月8日の電話も『19:03~19:04』となっていた。
次いで目立ったのは『045』で始まる自宅と同僚、新垣やこちらに一緒に来ていた仕事仲間の携帯電話。打ち合わせなどで掛けていたようで4月末から5月の初めに掛け、その頻度数は多くなっていた。そして、日本原燃の社長には4月に2度、5月1日に1度、原子力規制委員会の委員長には3月末に1度、4月に3度、5月1日に1度、また、宇宙航空研究開発機構の理事長には4月に2度、5月2日と6日にそれぞれ1度ずつ掛けていたが、通話時間は長くても10分、どれもが大抵は3分くらいで終わっていた。
ただ、泉沢は事件当日の5月9日には携帯電話からは誰にも電話をしておらず、 4月26日の午後5時過ぎに衆議院議員『佐伯頼朝(よりとも)』の東京にある議員会館の事務室に電話を掛け、20分以上話していた事は分かった。
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