0人が本棚に入れています
本棚に追加
死んでいるように眠った斜向かいの部屋の扉が開閉しているところを、今のところは一度も見ていない。誰もいない時間を見計らって蠢いているのかもしれない。昔のように気ままに扉を開け室内で寛いでしまいたい衝動が心に巣食う反面、もう二度と中には入りたくないという気持ちもあった。妹を救えなかったその時は、もしかしたら夏休みを延長して部屋に入り浸ってしまうかもしれない、そう思うと途端に未来が怖くなった。
「大丈夫。苦しんでるのは、ここにもいるよ」
皮肉でも憎悪でもなく、視線を逸らさずに言う。月明かりは徐々に下に降りていき、やがて俺を照らす。君以外も頑張っているんだから、君も頑張れ、というのは暴論だとは思う。でも、同じような気持ちを抱いている人が、境遇に耐えている人がいると分かると、少し楽になれる気がする。
途端に、扉の抵抗がなくなった。ドアノブが音を立てて動いたので、立ち上がって向き直る。少しずつ共有の空間が広がっていく。月光以外はそこにはないものの、暗さに慣れた目に互いの顔を認識することは容易いことだった。
「もっと、がんばるよ」
六年ぶりに見た妹の笑顔は昔のままで、けれどどこか大人っぽくて、妹も俺も大人になったんだと実感させられた。笑顔を返せているのか、なんと返事をしているのか自分で自分がわからなかった。妹の笑顔は作ったものかもしれないし、言葉の意味が明日以降も続いていくかどうかは分からない。けれど、妹を絶対に救ってみせると思ったのは、この場で最も確かだった。
階下の冷蔵庫が、蝉の音の切れ端に、自動製氷の合図を鳴らした。
最初のコメントを投稿しよう!