一.闇に消える背

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 どこまでも続く緑の中に、錆びついた鉄の道が負けじと続いている。  窓の外には恐ろしいほど美しい青空が広がっていて、それだけで高校までの記憶がフラッシュバックする。都会に身を移してから一度とだって使わなかったこの電車は、ぎこちなく、中途半端な椅子の柔らかさを持って迎えてくれた。一年前に使った時には言い知れぬ不安感を覚えたけど、いまは窓の外から差し込む日差しも相俟って、暖かみすら感じる。走行音を凌ぐほどの虫の音があちこちから響いて、本当に夏真っ盛りなんだなと、今更ながら実感する。コンクリートに包まれた社会では、いやに冷房の効く会社では、そんなことすらも気付くことができなかったのだ。  今年は例年よりずっと早くに梅雨が明け、かといって特有の猛暑が前倒しにやってくるということもない。本当に日本の夏なのかと訝るほどに快適な日々が続いていた。そんな中で日々の努力が認められ、会社から少し早めの夏休みをありがたく頂戴し、穏やかな気候に恵まれながら鈍行列車に乗り込んだのだった。向いの席で白髪のおばあさんが舟をこいでいる以外、車両には誰もいない。  そもそも、この夏休みに帰省をする気はなかった。突然空いた数日を何に使おうかと思っているところで、ちょうど父から国際電話がかかってきたのだ。実に数年ぶりに聴いた電波越しの父の声はやはりデジタルで、そのためか固く感じた。かけてきたくせになかなか沈黙が続いたので、 「突然、どうしたの」と聴くと、父はなおも固い声で返す。 「結衣が、学校に行ってないらしい」 「結衣――結衣が」 「そうだ。もう一週間以上、不登校になっているらしい」  どうやら父自身も信じられないようすで、俺に伝えながらも自分でもう一度確かめるように、はっきりとした口調で確かにそう言った。日本語教師の彼らしい、よく通る声で正確に、ただ困惑も含みながら。  自分がその職業に就いているからか、家族全員が出身している高校で父の顔は広いそうだ。知り得る教師のうちのひとりから今日、父に連絡が入ったらしい。不登校の理由は実に曖昧で、それも教師陣が分からない複雑だったからというよりは、家族には伝えづらく、教師側でその理由を容認してしまうのは憚られるから、という言い回しだったそうだ。現にその電話は学校を司る上からの正式なものではなく、一介の教師の携帯電話からだったという。
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