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仕事を放り出して行くには、やはり物理的に遠すぎる。そこでなんとかお前に頼みたい。その旨了承した俺はその日のうちに電車に乗り込んだのだ。ちょうど夏休みを貰えたという話をすると、固かった声色が少々緩んだ。断られた後のことを考えていたのだろうが、ちょうどよいタイミングだった。そうでもなければどう返事をしていたか分からない。
丘陵に臨んでいた線路はやがて海沿いへと変わり、車窓には砂浜で戯れる夥しい数の人が映る。鄙びた砂浜だと数年前までは思っていたのだが、某雑誌が「秘境」と銘打ってからバカンスに訪れる客が多くいるそうだ。とはいえこんな平日の昼間からこんなに混むものなのかと思うと、休日は砂浜の粒より人の方が多いんじゃないか、と想像してしまう。たくさんの水着姿に若干見惚れているところ、車窓に大きな虫がへばりついたために邪な気持ちは失せ、前に向き直る。おばあさんはなおも舟をこいでいた。
「妹を――結衣を、よろしく頼む」
そのまま切れた電話に少しばかり焦燥感を抱き、のんびり走る電車を少し恨んだ。普段は連絡なんてしないのに、わざわざ高校の制服の写真を送りつけてくるほど高校生活を楽しみにしていた妹が、まさか登校拒否だなんて。行く気力がなくなってしまっただけなのか、それとも――。俺の知る元気溌剌な妹は、この六年で変わってしまったのだろうか。そう考え始めると、先ほどまで太陽に煌めく海を眺めていたのが嘘だったかのように目の前が暗くなっていく。心の底からざわざわとしたものが溢れ出てくる。
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