第8章

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「でも、あたしがやりたくてやってたことだから。でも、丈太郎さんに心配かけるんだったら止すわ」 「ありがとう。そうしてくれると助かるよ」  丈太郎は本心からそう思っていた。洋子は電話の向こうで少しだけ沈黙した。丈太郎は洋子が怯えてしまったのではとまた心配した。だが洋子は、今夜澤田佐知子を尾行した結果を丈太郎に報告するために頭の中を整理しているだけだった。  残業でもあったのか澤田佐知子がシンノーファーマのエントランスホールに姿を現したのは洋子の時計が午後七時を指したころだった。洋子が佐知子をそこで見かけたのほんの偶然だった。佐知子をよりほんの少し先にホールにいた洋子は着信音の鳴った携帯電話をバックから取り出そうと立ち止まった。画面には『丈太郎』と表示されていた。洋子が応答しようと画面に指をタッチしようとした時、目の前を澤田佐知子が通り過ぎた。  洋子は丈太郎にもう一度澤田佐知子に遺書に書かれていた内容を聞けないかと言われたことを思い出した。洋子はとっさに携帯電話の着信音を消してバックに戻すと、洋子に気付かないまま自動ドアを抜けて足早に歩いていく澤田佐知子を追いかけていた。  最初から尾行する気などなかった。洋子は佐知子に近づいて声をかけようとした。だが、後にいる洋子の気配にも気付かずに何度も自分の腕時計に目をやりながら歩いている佐知子の姿を見て、なぜか声をかけるのを止めて、暫くついて行ってみることにした。  佐知子は15分ほど歩いてシンノーファーマのある神宮寺町の隣町の繁華街にある大手チェーンのコーヒーショップに入って行った。街路に面してガラス張りのその店は外からも中の様子が良くわかった。  洋子は店から少し離れた場所からカウンターで店員に注文をしている佐知子を見ていた。やがて佐知子はラージサイズのカップをもって2階席へと続く階段を上がった。  佐知子の姿が階段の上へと消えると洋子も店内に入った。丁度いい具合に客が途切れていたため、洋子は一番早くできるブレンドコーヒーをショートサイズで頼み急いで2階への階段を昇った。  佐知子は空いている席を探した。いつもならウィンドウ側にはり付くようにしてあるカウンター席が佐知子の定席だったが、今日は小さなテーブルを挟んで2脚のソファー置かれた席が空いているを見つけて腰掛けた。
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