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「暇そうにしてるな、カナ」
そんな風に声をかけてきたのは、要が所属する厩舎の主である、京極長道(きょうごくながみち)だった。彼は要が競馬学校を卒業したのと同時期に開業した若手で、要を所属騎手として迎え入れてくれた恩人である。
「先生」要は顔の前に掲げていた手を下ろして、ソファから立ち上がった。「新しい子は来たんですか?」
要の問いかけにいや、まだだと答えて、京極は壁際まで歩いて行ってコーヒーを入れた。それほど広くはない室内に、コーヒーのこうばしい香りが不意に充満する。
「そういえば、今日来るのってどんな子なんですか?」
要が質問するのに、赤松さんとこの女の子だよ、と京極が答える。
「赤松さん?」
「早来でオーナーブリーダーをしている人でな、ちょっとした縁があってうちに馬を回してもらえることになったんだよ」
京極がコーヒーに口をつけて、熱さに顔をしかめる。京極厩舎はまだ開業から間もないこともあって、目立った実績馬がいない。先日、ようやく一頭がオープンクラスにまで上り詰めたくらいである。そういう厩舎に、縁故とはいえ大切な所有馬を預けてくれる赤松氏はいったいどういう人物なのか、要は気になった。
「昔、その人の所有馬の主戦をやらせてもらってたことがあったんだ」
オルビテーエっていうんだけど、知ってるか? という京極の質問に、要は首を振る。彼が主戦を務めていた、ということはつい最近まで現役の競走馬だったはずだが、要はその名前に聞き覚えがなかった。
「オルビテーエはちょっと変わった馬だったんだ。なにせ、シンガイエスタデイフォーユーの血を一切引いていないんだからな」
京極の言葉に要が、えっと驚愕を返す。日本の競馬に携わっている者ならば、その言葉の意味は痛いほどよくわかっている。
***
シンガイエスタデイフォーユーは昭和の終わりごろに遠く、アメリカで生まれた。
生まれつき足が曲がっていて、競走馬としては大成できないと言われた。実際、十三戦三勝という戦績は一流馬のそれとは程遠いものだろう。
しかしながら、その三勝のうち一つがアメリカ最大のレースであるブリーダーズカップだった。しかも、当時世界最強とまで称されたファンタジウムを抑えての勝利だったため、シンガイエスタデイフォーユーの名前は全米に知れ渡ることとなった。
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