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ところが、シンガイエスタデイフォーユーは引退の翌年に種牡馬としての資質をほとんど有していないことが発覚した。いわゆる『種なし』とまでは言えないものの、精子の量が極端に少なく、着床の可能性が低かったのである。加えて、血統的にも地味なところがあったため、種牡馬として生きていく積極的な理由を、彼は失いつつあった。
そのまま、功労馬として余生を送る。そういう道も見え始めたころだった。シンガイエスタデイフォーユーの暮らす牧場に、一人の日本人が訪れた。のちに日本競馬の版図を大きく塗り替えることとなった『巨人』碓氷宗徳(うすいむねのり)である。
牧場の、数いる種牡馬のうち碓氷が目をつけたのは、シンガイエスタデイフォーユーだった。当然、牧場のオーナーは彼の事情を碓氷に説明した。しかし彼の決意は変わらず、あっという間に話をまとめてシンガイエスタデイフォーユーを日本に連れてきたのである。昭和はいつしか終わりを迎え、元号が正化へと変わっていた。まるで、それが日本競馬の一時代の始まりであるかのように。
シンガイエスタデイフォーユーが日本に来てから数年後、多いとは言えない産駒の中からブルースカイという牡馬が現れた。デビューの遅い馬だったが、秋の天皇賞を連覇した名馬である。
そのほかにも快速娘と呼ばれたオーバーレヴ、戦乱の皐月賞を制したサラヒストリィ、新設されたばかりの秋華賞を戴いたポンキノエルなど、実に七つもGⅠレースを、初年度産駒で制した。日本列島を覆う嵐が、その形を見せ始めていた。
その後もシンガイエスタデイフォーユーの快進撃は続いた。二年目の産駒であるガイスティブブリッツが早くに種牡馬入りをすると、そこから史上六頭目となる三冠馬バイロケーションを筆頭にして名馬が数多く誕生し、祖父の優秀さを競馬界に浸透させた。
その後もあまたのGⅠを産駒が制し、晩年には系統まで確立した名種牡馬、それがシンガイエスタデイフォーユーである。彼の血は今や、日本で走る競走馬の七割方に含まれている。
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「オルビテーエは骨董品なんだよ」
驚くだけの要を尻目に、京極はそう付け加えた。
骨董品、という表現からすれば、シンガイエスタデイフォーユーの血を引かないオルビテーエは、日本に古来から続く胄(ちすじ)の、その末裔ということになるのだろう。
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