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隣に引っ越してきた彼は優しそうな人だった。
彼は唯一の隣人である僕を訪ねてきてインターホンを鳴らした。久しぶりに訪れた人に、僕は恐る恐るスコープから外を覗く。覗いて見える、宅配便でも、編集さんでもない男の人。
「こんにちは。隣に越してきた田中です!」
ドア越しに僕に話しかける手には小さな紙袋。恐らく引っ越し挨拶のものだろう。にこにこ笑って彼は僕を待っていた。
僕は警戒しながら鍵を開けて、建て付けの悪いドアを開いた。ギギィという音は途中で止まる。チェーンは付けたままだからだ。
「こんにちは!」
開いたとわかった瞬間、彼はまるで飼い主が帰ってきた犬みたいになって、もう一度、
「田中です!」
元気に挨拶をして、どうぞ、と僕に紙袋を渡した。
ドアの隙間から窮屈そうに僕の手元に渡ってきた中身は有名菓子店のもの。僕の好きなものだった。
「…あ、ありがとう、ございます」
なんとか絞り出した声はそれだけ。
「いえいえ!」
僕とは正反対に、彼は明るくはきはきとしている。
「これからよろしくお願いしますね!えーと…隣人さん」
彼が何も書かれていないインターホン上の空間をちらりと見ながらちょっと困ったように彼が笑う。そういえば僕は表札をかけていなかった。
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