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彼は閑散とした店内で例の宇宙色の絵を前に座っていた。出逢った日からずっと完成しなくて、乾かすためにほかの絵を描くと言って、違う絵がいくつもできあがっていって、それでもこれだけがいつも此処に在った。 三ヶ月以上経っているのにいつだってこのカンバスは水彩のごとく透き通り、テレピンで描き進めて乾かして、またその上にテレピンで下描きをしては、永遠に下描きを重ねているのだ。 下描きの下の下描きの下。 ちりぃん、とドアにかかった鈴が鳴ったので神崎康介は呆然と顔をあげた。長い前髪の隙間から伏し目がちの視線を向け、私と目が合うと囁くようにぽつんと言った。 「描きたい絵が、有る。だが私には、難しい」 「はい」 「悔しい。人間なんて所詮みんな一個の星の地面に並んで立ってるだけのくせして、何故ひとの頭踏んだり頭踏まれたりしてると思うんだろう、なぁ……」 「はい」 「比べることでないのは解ってる」 「はい」 「でも悔しい」 「はい」 「描かずに息をしてた頃には、戻れない……」 「戻れない……」
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