第1章

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隣の部屋に菅先輩が越してくるまであっという間だった。 もともと隣には同じ大学で3留中の7回生が住んでいた。 今年になってから、彼の両親らしき人物が何度も乗り込んできて怒鳴るのがうるさいなあと思っていたところ、実家に連れ戻されて両親の監視のもと真面目に卒業を目指すことになったらしい。 管理人がそう教えてくれた。 「留年たぁ、いい身分だよなあ」 自分は今4回生だが、就職はせず大学院生に進むことにしたので、夏休み、講義がないことを良いことに朝から晩まで研究室に拘束されている。 バイトをする暇もないが、ただでさえ理系は学費が高いと嘆く親に頼み込んで院進学を許してもらった手前、これ以上金の無心はできない。 「時間も金もない俺達は、ただただ研究に邁進するのみ!」 「研究者の鑑だな」 「口だけはな」 実験の合間、同じ境遇の同回生達とそんな風に談笑していた。 そこへ、 「東堂君ちって、大学から徒歩何分?」 ふと菅先輩が近付いてきた。 真っ黒になったバナナを一本持って。 「と、徒歩…4分ほどですけど……」 先輩はそれだけ聞くと、某SNSの「いいね!」さながらに親指をぐっと立てて去っていった。 茫然とその姿を見送り、しばしの沈黙が流れた。 「あのバナナ、先輩のだったのか…」 「あれ…やっぱり食べるんだよな…」 数日前から研究室の冷蔵庫に真っ黒になったバナナが入っているのは知っていた。 きっと研究室の全員が知っていた。 でも誰も触れなかった。 「もしかしたらと思ってたけど、やっぱりか…」 そう言って阪下が頭を抱える。 そう、きっと、みんなも同じことを考えていた。 「慣れてはきたとは言え、ああいう姿はやっぱり衝撃だよな…」 山路がつぶやくように言う。 自分もそう思う。 自分達男でも躊躇するような真っ黒なバナナを平気な顔して食べるのは、見目だけは麗しい女性なのだ。 男ばかりの研究室にたった一人、本来なら皆の憧れのマドンナ的ポジションになるんだろうが…。 研究室に新入りの自分達は、菅先輩の奇想天外な行動に日々動揺し、ショックを受け続けていた。
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