第1章

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「この仕事を始めてよかった」  私にそう思わせてくれた塾生の子は多いが、彼女はダントツの存在だった。 A子ちゃんは家庭環境にも、経済的にも恵まれていなかった。多くの生徒は、過酷な環境に置かれるとグレるか性格が歪む。しかし、彼女は厳しい環境を自分を育てる肥やしにできる稀な子だった。 「政策金融公庫と奨学金と私のバイトで何とかする」  そういうA子ちゃんだった。そして、ある時ボソっと 「お母さんが生命保険を解約するって・・・」  と小さな声でつぶやいた。しかし、その目には絶対に合格するという覚悟が見えた。  そんな貴重なお金を塾に提供してくれるのだから、リキを入れないわけにはいかない。損得勘定などなかった。何としても合格してもらわなければならなかった。彼女が多くの患者さんを救うことは間違いない。待っている人がいっぱいいる。      私は中学・高校時代を通じて、A子ちゃんと言えばジャージと思っていた。たまに制服で来てくれたけれど、女子度はゼロ。可愛い髪飾りを付けるでもなく、フリフリの洋服を着るでもない。もちろん、髪振り乱して勉強ということはなく、清潔にしていたけれどファッションに時間も金もかけるヒマはなかった。   女子に「質実剛健」という言葉はおかしいのだけれど、A子ちゃんにはピッタリの言葉。私は戦前の教育は知らないけれど、両親を見ていて想像はついた。歴史小説に出てくる一昔前の大和撫子。  これは偶然ではない。今、私の塾に各中学校のトップクラスの生徒が何人もいるけれど、理系女子はほとんど女子度ゼロ。平均的男子より理路整然と話す。そして、質実剛健。日本の未来は明るいと思わせてくれる。  A子ちゃんは、その後「国立大学医学部」に現役合格して「旧帝の大学院」で学び、現在は研究職に就いている。私はA子ちゃんを長く見ていて思うことがある。  A子ちゃんは気づいていなかったが、当塾では彼女の指導から生まれた教材群のお陰で、その後なんと「京大医学部」合格者が3人も続出した。私の塾の救世主でもあったのだ。  現在の日本では、道を外れたギャル、ヤンキー、暴走族あがりの生徒や講師をもてはやしお金がそちらに流れる構造が出来ている。しかし、本当はA子ちゃんのように目立たなくても人々の役に立っている、道を外れない子にお金が流れるべきではないか。
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