第1章

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「ありがたくいただきます」  それを受け取ると西山さんはまだ片付けが残っているのか、早々に自分の部屋に戻っていってしまった。扉を閉めてタッパーの中身を確認する。鰤大根だった。季節のものというわけでもではないが、今の時代ならいつでも作れないということはない。引越しの時にご両親が持たせてくれたのだろう。そのうちの少しをこうして分けてくれたのだ。  私はまだ決まっていない昼食の献立をこれに決めて、よく似合う白米を炊くために米びつを取り出した。  冷たい水に手を濡らしながら、私はふとあの女性をどこかで見たような錯覚に襲われた。西山という女性を私は知らない。あんな美しい日本人形のような女性を見ていれば、さすがに簡単に忘れることはないだろう。  タッパーから鰤大根を陶器に移し、電子レンジにかけながら私はまた椅子に腰掛けて頭を悩ませていた。だが、やはり彼女のことを思い出せなかった。  成果も得られないまま時が過ぎ、レンジから仕事が終わったことを伝えるベルの音がする。私は一旦考え事をやめ、湯気の立つおすそ分けをレンジから取り出した。醤油の香りが狭いレンジ内から部屋へと飛び立つ。この香りには覚えがあった。珍しい唐辛子の香りが混じっているのだ。父がよく作ってくれたものだ。これが母の得意料理だったのだ、と。  母は私が幼い頃に亡くなったと聞いている。姿を覚えていないほどで、その顔は写真でしか見たことがなかった。死因は聞いていない。父に何度が尋ねたことはあったのだが、いつも口を噤んでしまう。 「いつか、話せるときが来たらな」  最後にはそう言ってしまうので、私も強くは言えずここまできてしまった。そのいつかがいつなのかは私も父もとりわけ決めてはいない。私たちの気持ち次第ということだろう。  昼食を終えて、私は隣の西山さんへのお返しを考えた。タッパーをそのまま洗って返すのでは素っ気なくはないだろうか。かといって何かを見繕って渡すのも自分が功を焦っているようでみっともない。そこまできて私は自分が彼女のことをやたらと気にかけていることに気がついた。なんだろうか、この気持ちは。
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