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当然にように返してくるが、"貰ったものは描き残す"などという方程式は存在しない。
高価で貴重なモノならまだしも、対象は500円のゼリーだ。
綺麗な風景画の間に突如現れるゼリーの絵を想像して、それはダメだろと首を振る。
「本当、わざわざ残してもらうようなモノじゃないですし」
「そんな事ないよ」
慌てて止めようとする俺に、その人は目元を緩ませながら見て、と促す。
「ほら、綺麗だと思わない? 水の中みたい」
渋々箱を覗き込んだ俺に、その人は細かく傾きを変えてみせる。
水々しく透き通った緑とオレンジを通る光は角度を変える度に屈折し、鎮座する果実を宝石のように照らし出す。
……確かに。
大人しくなった俺を見て納得したと判断したのか、その人はいそいそとページを捲り鉛筆を手に持ちだした。
明らかに上機嫌な横顔に、それ以上の制止は諦める。
俺だって、喜んで貰えたのは嬉しい。
シャッ、シャッと乾いた音は時に短く、時に強く。
濃淡をつけた黒い線が、少しずつ形を生み出していく。
対象物を捉えては視線を落とし、手を動かしてはまた確認をしてと忙しない瞳は真剣そのもの。
それなのに上がったままの口角に、気付かれないよう苦笑を零す。
楽しい、のだろう。
些細な変化を好むこの人にとって、数秒ごとに変化する光の屈折は絶好の観察対象だ。
穏やかに流れる時間。
どのくらい経ったのかなんて、気にもならない。
蝉の音と、その人の生み出す音にただ黙って耳を傾けながら。
不思議と退屈はしなかった。
むしろ、変化を捉えようとする黒い線を追う事が、楽しくなっていた。
「……こんなもんかな」
完成を知らせる声に、身体を傾け覗きこむ。
白と黒で生み出されたゼリーは、驚くほど水々しい。
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