三日目

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「……明日、帰ります」 はっきりと告げた言葉に、彼の肩がピクリと跳ねる。 暫くして、うん、とだけ零した彼は、変わらずこちらを見ようとしない。 ソロリと少しだけ上体を傾けて覗きこんだ顔の、複雑そうに寄せられた眉にクスリと笑みが溢れる。 本当、初日に会った時とは大違いだ。 彼は随分と、表情が豊かになったと思う。 「……出発は?」 「昼過ぎくらいになるかと」 「……そっか」 徐々に変わっていく空の色が、カウントダウンを始める。 ここ数日のどれよりも鮮やかに主張する夕日の、なんて綺麗なことだろう。 黙りこんだままの彼は、きっと俺の言葉の示す所もわかっている筈で。 「……明日は、もしかしたら」 それでも敢えて口にしたくなってしまうのは、心の内から蝕んでくる微かな"未練"。 「ここには、来れないかもしれません」 きっと明日は朝からバタついていて、ここに来ることは出来ないだろう。 それでも、"かも"と言い表してしまうのは、諦めが悪いから。 「……うん」 そんな気がしてた、と繋げる彼は一度視線を落として口端を緩く上げる。 「……寂しいね。また明日からは、一人かと思うと」 「っ」 指先にそっと重ねられた温度。 「ごめん、今だけだから」 囁くような声なのに、大きく鳴り響くどの逢瀬の請いよりも強く鼓膜を震わせて。 自分よりも低い体温に、心臓が焼けそうになる。 こんな感情、知らない。 ジワリとせり上がってくる感傷を誤魔化すように、ゆるりと俯き瞳を閉じる。 帰りたくない、この人をもっと知りたい、この手を握り返したい。 そのどれも、叶うことなどないのに。
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