四日目

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「スケッチブック、送るから! キミに持っていて欲しい!」 「っ、」 「全部、描いたら! 絶対に送るから……!」 少しだけ紅潮した頬で必死に声を張り上げて。 こんな顔も出来るんだ、なんて場違いな感心を胸に秘めて、俺は大きく頷く。 「俺も、一個だけ!」 枝の隙間から漏れた日差しが、目に痛い。 「……名前は!?」 スルリと出てきた問いに、その人は一度目を見開いて。 それから口端で小さく笑って。 「ひぐらし」 この時の俺は何一つ疑問などなく、ただ純粋に頷いて手を振り駈け出した。 "スケッチブックを送ってくれる"という約束された繋がりと、初めて教えてもらった"彼"そのものに高ぶっていたのだ。 "ひぐらし"。……ひぐらしさんって言うのか。 頭の中で繰り返して、大切なその人の名を忘れないよう刻みこむ。 最後の最後で、本当に"近づけた"。 そう、信じこんでいた。 「あ! 帰ってきた!! 携帯も持たないで何処行ってたの!?」 「ごめんごめん、でも間に合っただろ?」 「ギリギリね! おとーさん! 行くわよ!!」 急かす手に苦笑しつつ婆ちゃんに「また来年」と告げて、俺は後部座席へ。 所狭しと積まれた土産物が崩れないよう、しっかりと見張らないと。 走りだした車。 婆ちゃんに手を振って、閉じかけた窓。 静かに見下ろす青い屋根に、手を止める。 「……」 あの人は約束通り、見送ってくれているのだろうか。 あの時の"ひぐらしさん"の言葉通り、屋根より下は木々に埋もれてしまっていて結果は俺にはわからない。 けれど、きっと。 こっそりと手を振り、唇だけで別れを告げる。 「見えないね」と苦笑するその人を、薄く聞こえる蝉達の中に思い浮かべながら。
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