歯がゆい現実の迫間で

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Maybe you should not see Ichiya,please. If you think a for him. (一哉のためを思うなら、あまり会わないでほしいんだ)  さっきからずっと、エドに言われたことが頭の中を回っている。  通訳も兼ねるエドのパートナーのサオリさんがエドと少しもめていたことを思い出す。通訳してもらわないまでも言いたいことは分かってしまった。  一哉くんが今、どんなに大事な時期かということは、誰に言われなくても分かっている。この1年そばで見てきたのだから。    レコーディングスタジオの大きな建物を出て、アメリカ・マンハッタンの空を仰ぎ見る。乱立する超高層ビル群で空の面積は小さく、薄い雲がかかっていた。  スタジオのコントロールルームでさえ、斜めになっている窓ガラスの向こうは、道路を挟んですぐにビルが迫るくらいだった。似た建物が幾何学模様のように並ぶマンハッタンの街は、日本とは異質の張り詰めた空気が漂っている。  なじみになったスタジオマネージャーが、すれ違いざま、親しげに軽く手をあげて挨拶をしてくれる。ほかにも、スタジオスタッフが出たり入ったりしている。みんな白人や黒人で、日本人はいない。それだけでもこの地が日本でないことを充分に認識させられた。  今の状態で殲滅ロザリオがレコーディングしているAスタジオに戻ったら、絶対一哉くんに動揺を気どられてしまう。  私が一哉くんをわかるように、一哉くんもまた私の変化に鋭い。  深呼吸して、気持ちを落ち着けようとする。  別れろと言われたわけじゃない。  ただ、しばらく離れていてほしいと言われただけだ。彼が、レコーディングのことだけを考えていられるように、そのために日本に帰国してくれないかと。  でもここ最近、一緒に働いてきたエドの音楽に対するシビアな姿勢を見てしまった今、彼の本音がそうじゃないことくらいわかる。多くのアーティストをビルボードランキング1位や、グラミー賞受賞へ導いてきた人だ。  私に言ったことは、だいぶ譲歩してくれての話だろう。  本当は24時間、音楽漬けにしたいのだ、一哉くんを。  私がいることでどこか浮ついていた音楽への姿勢を、きちんと問い直すために。
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