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それからの日々は、めまぐるしい忙しさだった。
リハビリ、といっても体力を取り戻す必要もあれば、ボイトレも欠かさない一哉くんの努力は、まさに汗に血が滲むと言いたいほどだった。
そして私の母への挨拶、結婚式の準備。さすがにこればかりは、私が手配をしていたのだけれど。
それだけでも大変なのに、一哉くんの頑固な主張で、レコーディングとアメリカツアーの準備も並行して行われた。
こんな殺人的スケジュールをこなして、一哉くんはひょうひょうとしていた。
私はウェディングドレスの裾をもちあげながら、一哉くんに手を握りしめられながら楽屋へと向かう。
楽屋に飛び込むと、先に親族席から抜け出していた司さんが待っていた。
「一哉、いけるか」
「もちろん、時間ねーから、格好はTシャツとジーンズでいく」
一哉くんは燕尾服のジャケットとベストとネクタイを外すと、楽屋のヘアメイクに渡す
「えっ」
せっかく衣装を用意していたらしいスタイリストがかすかに落胆している。一哉くんを着飾る楽しみを奪われた格好だ。
私はソファに身を沈めて、息切れを整える。
「おお、涼さん、見事な花嫁姿だな」
「坂崎さん」
「すまないね、せっかくの結婚式も余裕なくて」
「いえ…」
「お腹は大丈夫か?」
「はい、大丈夫です。母子ともに健康ですから」
「そうか」
坂崎さんは珍しく柔和な笑みを浮かべてから、一哉くんを見る。
奇跡的に復活した一哉くんが、これから新しい世界へと出ていくその姿を見守っている目は、厳しくも優しい。
「涼、ステージの袖で見てろよ」
「うん、着替えたら行く」
「いいよ、その格好で、来いよ。一緒に袖までさ」
「ええっ」
「今日くらい、オレの花嫁だって実感してーじゃん。周りにも自慢してーし。分かった?」
「え、えええ…本気で?」
「時間ねーのに、嘘つくかっつーの。いい?」
「はーい」
私は仕方なく頷くと、膨らみの目立つお腹を抱えて立ち上がる。
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