第1章

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「やれやれ。家主の意向なら仕方あるまい。但し娘、ここに住むのなら私とも契約を結ぶ必要がある」 「ええっと……ショーレンさんだっけ?あなたとも?」 「青蓮でよい。娘、おまえにはここで住む間私と夫婦になってもらうぞ。でなければおまえはここにいる物の怪どもに食われてしまうからな」 「めおとって………?」 「心配せずともただの形式状のことだ。何も今宵より床を共にしろという話ではない」 言うやいなや私は身を屈め、疑問符を浮かべる娘に契約の証にと素早く口付ける。 触れた途端、娘は眦が裂けんばかりに目を見開いて、息をすることすら忘れて凍り付いてしまった。 私にとってはただの契約の行為ではあるが、これは人間にとっては接吻という求愛の行為にあたるらしい。 おそらく初めてのことだったのだろう、娘は呆けたように私を見ている。そのいかにも物慣れぬ無垢な反応は意外なほど私を心地よくさせた。 触れてみてわかったのだが、人間の女の、否、この娘のやわらかで瑞々しい唇と己のそれとを触れ合わせる行為というものは、想像しえなかったほどに私の悦楽をあやしく擽る。 この娘がもたらす快楽をもう一度味わってみたいとつい顔を寄せれば、娘は顔を真っ赤にして私の顔を押しのけた。 「なっ…………い、い、いきなり何するんですかっ!!」 「この長屋には、先ほどの駄犬のような食い意地の張ったモノが多く棲みついている。だが人間といえど私の伴侶であれば、あやつらもそうそう手を出そうとはせぬはずだ」 「ふぅん。そりゃありがたいけど……でもあなたも人間ではないんでしょ?………どうしてそこまであたしに親切にしてくれるの」 親切、というものではないのだと思う。 ただ長い時間に飽いた者の気まぐれだ。飼い猫を求める人間の心理に近い。 人間の娘を抱え込むとは厄介なことに違いないが、どうせ人など猫又がうたた寝しているような短い合間に生をまっとうしてしまうような儚い生き物だ。 その僅かな時間をこの子供の様な娘の躾や世話にくれてやっても惜しくはない。それくらいに私には時間が有り余っている。 「話は後だ。まずはその奇妙奇天烈にして珍妙な服をどうにかせんとな」 娘は怪訝な顔をして「Tシャツとクラッシュジーンズがそんなに珍しいのかな」などと耳慣れない西洋語のような言葉をぶつぶつ呟く。
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