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蝉は儚い生物だ。根本的に、彼らはなんのために生きているのかというのを考えてみる。
人間でいう赤ん坊の幼虫は、産まれてすぐ地に潜って地中生活を始める。その期間、数十年。中にはおよそ十七年もの歳月を地底で暮らす種類もいるらしい。零歳の赤ん坊が、十七歳の高校生になる年月と考えると、なかなか気が遠くなる。よく飽きないものだ。
そしてやっと出てきて、さあこれから脱皮して成虫になろうときて、だけど実際は地上では一ヶ月程度しか生きられないんだと。じゃあ幼虫の頃のあの時間はなんだったんだ。彼らの一生は、ただひたすら鳴いて子どもつくって終わり。悲しすぎる人生もとい蝉生。
彼らには総じて、おそらく生きる目的なんてハナからないのかもしれない。ただ“子孫を残す”っていう本能に踊らされているだけの、悲しき機械生物。知能や感情がある人間とは真逆だ。もちろん俺たちにだって子孫を残すためという生物的本能はあるが、そのための過程はどうだってよくはない。美味しいものは食べたいし、好きなことをしてだらだら過ごしたい日もある。蝉が果たして、そんなことをするだろうか。いずれ死ぬなら、一生を謳歌してやろうじゃないかとか思わないのか。人間からはとうてい理解できないが、きっと蝉には、蝉なりの美学があることだろう。同じ世界に生まれた者同士だ、俺はその生き様を称賛したい。
さんさんと降りしきる蝉時雨のなか、コーヒーカップをソーサーに戻し、視界いっぱいに広がる青空を仰ぎながらそんなことを考える。今日もいい天気だ。
いい天気のわりに、俺はいつものように、こぢんまりとしたカフェのテラスで、この店で一番人気があるとうたわれているカプチーノの香りを楽しんでいた。好奇心がてら色々なメニューを試してみたが、これが唯一楽しめるものだった。
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