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昔ながらの性格。一種の性癖と言ってもいい。飽きっぽい。物事に、一日かけて熱中した記憶が今までない。半日だって数えるほどだ。
飽きることは、人間誰もが経験したことある。俺はその中でも、ダントツで萎えが早かった。飽きることがないことが、ない。なにかをやっても、最後には必ずほっぽってしまう。
カップの中で、湯気を立てているカプチーノ。うまい。最初飲んだときは、おいしかった。けど、その感想もそろそろない。香り、色、風味、カップのデザイン……“コーヒー”という一つの芸術品に出会えた今、最大だった好奇心はどんどん薄れていってしまう。満ちた潮が引く速度は俺の場合、のぞみ号なんだ。
会計を済ませて外へ出ると、平日の午後の割には意外とごった返しているこの街の風貌が眼に映る。石畳の洒落た街なんてステキじゃないか、と引っ越してきた当初は思っていた。カフェだけ寄りに来たが、せっかくだから当てもなくフラフラと街の中をさ迷う。目的なんかない。そんなものなんかつくったら、途中で飽きてしまうから。だから最初から、“生まれて鳴いて子孫を繁栄させる”という端的な目的を持っている蝉が羨ましい。
腕時計を見ると、四時をまわろうとしていた。どうりで学生がチラホラ見えるわけだ。家に帰るか。それともちょっと買い物してくか。どっちにしろ両方死ぬほど飽きているが。家にいても暇すぎて死にそうになるから外へ出かける。食材を買うために買い物をする。買ったら家に帰る。
最近常々思うが、俺は果たして、何のために生きているんだろう。生きていていいのだろうか。ああ、この考え方も飽きた。今まで何万回考えたと思っているんだ。つまらないテレビ番組を観て、酒を飲んで、洗濯して掃除して、また酒を飲んで寝て、起きての繰り返し。そこになんの意味がある?
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