虫男

11/12
前へ
/12ページ
次へ
 確かに崩れた体裁の中でも、変わらずたゆたう温もりがあり、だからなおのこと、女性の言葉が示唆するものを、男は受け入れきれずにいた。 「それじゃあ、私はこれで」  お世話になりました――。  最後にそう、いつもの真率丁寧な振る舞いで告げて、女性は短い足をスッと返した。 「あの」 「……え?」  遠ざかる小さな背中に声を投げかけると、女性は猪首をゆっくりめぐらせた。 「こちらこそ、ありがとうございました」  女性は驚いた風にその瞼の垂れ下がった目を丸くした。そして小さく笑みをこぼして、老いた老婆のように一礼すると、まるで秋に花が咲き、春になれば人知れず葉を散らしていく彼岸花のように、女性は静かに街を去った。
/12ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加