虫男

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「お休みのところ失礼致します。本日隣に引っ越してきた者です。ただいま挨拶に回っておりまして、これ、よかったらどうぞ召し上がってください」 「……あ、は、はい、ありがとうござい、ます……」 「それでは、これからどうぞよろしくお願い致します」  四〇代半ばほどの女性だった。礼儀正しく一礼して、最後に男の呆けたような顔を見ると、そのまま軽くこうべを垂らし、踵を返した。  男は扉を閉めると、すぐさま道路沿いにある窓へと駆け寄って、シルクのカフェカーテンを僅かにめくりながら女性の行く先が自宅であることを確認すると、そのまま手に握った、可愛らしい透明な小袋に収められているバタークッキーをまじまじ見つめた。 「……似合わねえ……」  男が驚愕しているのは女性の容姿についてだった。  瞼を思い切り閉ざしてみてもどうしても思い出されてしまうその顔立ちは、とにかく醜かった。  瞼は焼き爛れたように垂れ、唇はハチに刺されたみたいに膨れ上がって、顔のパーツが福笑いみたいにバラバラで、顎が正面へと突き出ていた。それでいて背格好は小さく、男の胸辺りに頭があった。  男はふと、昨年の夏に見たSF映画にでてくるゴブリンのことを思い出した。宇宙人と壮絶な戦いを繰り広げる人間に、地球に住まうモンスターであるゴブリンが手を貸してくれるのだ。  もっとも、その女性がどのような人間であるかは定かでなかった。実際、彼女を女性であると認識できたのは、肩元まで降ろされた綺麗な黒髪と、香水の甘い香りによる部分が正直大きかった。  それほどまでに彼女の外見は醜かった。  男は再び、整ったなりをしているクッキーを見た。物は試しと言うように、口にひとつ放り入れると、甘美な風味が鼻を抜け、ギャップルールというものが作用してなのか、あまりの美味さに感激した。そして、女性の容姿を思い出して顔を歪めた。  カフェカーテンから再び女性の家の方を覗き見ると、そこに植木や花が植えられた鉢を外で並べる女性の姿を男は捉えた。  千切れ雲が空に浮かぶこの春の日、注ぐ陽光は僅かな冬の名残を打ち消し、丁度よい気温と湿度を活気ある住宅街に満たしている。気持ちよさそうに、女性は手で影をつくりながら時おり空を見上げていた。
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