第1章

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 勢いよくアパートの扉を開けて、階段を駆け下り、大学に通う。  そして道路にでるまではこれまで通りなのだが、最近は奇妙な視線を感じるようになった。視線の正体は、隣に越してきた外国人だ。  年老いていて、頭は禿げ上がり、鼻は高く、日本人ではありえない細長い鼻の穴に驚く。そして冷たく暗い青い瞳で僕を窓ガラス越しに見下ろしているのだ。  最初の頃はたじろいていたのだが、おもてなし精神を発揮し「こんにちは」とあいさつしてみるのだが、あいさつした瞬間に。カーテンを閉めてしまう。  そして驚くことにこの老人は、いつも子供の背丈ほどの人形を大事そうに抱えているのだ。      「その人。ムラビンスキーさんじゃないかな?」 「知っているんですか?」 「知ってるもなにも……。このA県でロシア研究をしている人でムラビンスキーさんを知らない人なんかいないよ」  説明が遅れたけどここは僕が通っている大学。僕は第二か国語選択でロシア語を選択している。  そして講師の山神先生(フリーのロシア語通訳をしている)が現地でとってきたロシアの民族衣装を着た女性を見た時。あの変な外国人が抱えていた人形と酷似していたことに気づき、講義が終わった後、山神先生を呼び止め、奇妙な隣人について話をしたのだ。 「そんな有名人なんですか?」  あんな貧相なおじいちゃんが信じられない。 「二つの意味でね」  山神先生はニヤっと怪しい笑みを浮かべる。 「あの人は、ロシア皇帝に仕えていた有名な人形制作家の一族でね。旧ソ連時代も国を代表するビクスドール作家だったの」 「はあ……」 「でもある時、ビスクロール一体入ったトランク片手に日本に亡命」 「へえ……」 ソ連がロシアになった今も日本で人形作家として活躍しているの」 「……」  スケールのでかい話についていけなり、もはや相槌すら打てない。  なるほど道理であのおじいちゃんの視線が気になったわけだ。  人は困難を経験するほど人外じみていくということなのだろうか。 「世界中に愛好家がいてね……ってちゃんと聞いてるの?」  おっといけない知らない間に自分の世界にどっぷりつかっていた。 「すいませんした」 「ちゃんと人の話を聞きなさいって、お母さんに言われなかった?」  怒られた。なんか小学生みたいで成長しないオレ。 「あっそうだ!」  ぽんと大きな胸の前で手のひらを合わせる山神先生。
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