ココアにとろける涙味

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「……おいしい」 ぽつりと漏らして、よろよろと目線をキッチンへ向けた。 最小限のライトの下で、永瀬はこちらに背を向けて、洗い上がったグラスを手早くクロスで拭いている。その作業には無駄が無く、美羽はいつも惚れ惚れする。 付け入る隙がないほど、仕事はよく出来る。接客商売なのに、心配になるほど愛想はないが、常連もいるし客入りは良い。 本人は珈琲の味が客を招いていると疑わないが、美羽は永瀬のさり気ない気遣いのお蔭だと知っている。美羽が永瀬に惹かれたのも、その気配りのせいだ。 今だって、珈琲が自慢の喫茶店の店員だというのに珈琲が飲めない美羽のために、いつの間にかココアを入れてくれた。もう閉店後で、道具を片付けている最中だというのに、まだ仕事が残っているというのに、たっぷりのミルクで溶いてくれた甘くて濃厚な、美羽の大好きなココアで、店で出すのよりも濃くしてくれているのに、店で出すのと同じように生クリームとカカオパウダーまで浮かべてくれている。 だから、嫌いになれないのだ。 諦めたほうが良いと思うのに、思いを断ち切れない。バイトなんて他で探せば良いと思うし、離れれば幾分諦めもつくかもしれないと思うけれども、その勇気も出ない。
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