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珈琲の注文が入ると、永瀬は手元に集中する。飴色のカウンターに置かれたサイフォンから、ゆっくりと濃褐色の液体が滴る。
やがて芳醇な香りが流れ出す。珈琲は飲めないくせに、美羽はその香りが好きだ。特に、この店オリジナルのブレンド珈琲の香りは、香ばしくて落ち着く。そんな美羽を、永瀬はいつも不思議そうに眺めるのだ。
やっぱり好きだ。永瀬もこの店も珈琲の香りも。どうしても諦められそうに無い。
裏口の開閉音が響き、足音がこちらにやって来た。気づかぬうちに永瀬は、店の外に出ていたらしい。
薄暗い床にへたり込んだままだった美羽の上に、更に影が落ちる。キッチンを背にした永瀬の高い背が、ライトを遮ったのだろう。
「……好きでいるのも駄目なの?」
「……駄目だ」
「なんで?」
永瀬がカウンターにカップを置いた。漂う香りは、美羽の大好きなこの店の珈琲のものなのに、全然嬉しくない。
永瀬が一日に何杯も淹れるそれは、永瀬も常連客も一見の客も口にするのに、美羽には相容れないのだ。いつもは残念に思うだけのそれが、無性に悔しい。
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