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そこに、黒く暗き何かが在った。
形もなく、存在も定まらない、ただあるだけの何かが。
人はそれを闇と名付けた。
闇と名付けられたそれは、 至る所で蠢いていた。
街の片隅で、森の奥深くで、静かに、だが明確に存在していた。
闇と名を付けてもなお、人はそれの姿をはっきりと捉えることはできなかった。
ただ、刹那の時すら忘れることができなくなったのだ。
それの存在を。
その存在に皆恐れを抱いた。
忘却を禁じられたことに恐怖した。
闇は恐れを喰らい、更にその存在を強く増した。
街道に、街の広場に、家の中にさえ、人の居場所を脅かすかのように存在を伸ばした。
――今となっては闇の無きところなど無いと云うほどに。
――まるで闇こそが世界の主であるかと云うように。
人は隣に在る闇に恐怖し、黒く暗き何かを闇と呼ばなくなった。
存在を忘れ得ぬなら、せめて名だけは忘れようとでもしたのだろうか。
闇の名が人の口の端に上ることがなくなると、
やがてそれの存在は朧となり、その存在は街からも、森からも消え去った。
誰もそれを知ることは無くなったのだ。
黒く暗き何かを人が認識できなくなったに過ぎない云うのに。
それは常に我々の隣に在り続けているのに。
人はそれがなくなったと喜び、そして存在すら忘れたのだ。
幾星霜経たのだろうか。
黒く暗き何かの伝承も知るものは消え、
古の文献から闇と云う言の葉すら忘れられた時、
一人の男が現れた。
その男は黒く暗き何かを見つけた。
――見つけてしまったのだ。
だが、人々はその存在を知らぬ。
男は思考した。
これは知らずにいて良いものではないと。
光の影に隠し続けて良いものではないと。
知らずにいれば、抗うことすら許されず滅ぼされかねぬものだと。
そして男はそれに、
黒く暗き何かに、
名を、付けた。
絶望
――絶たれし望み、と。
これが、すべての始まりだった。
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