第1章

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「あらっ、佐藤さん、また入れ歯外したまま食べたの?ダメじゃない、丸呑みしたら消化に悪いよ?」 「あげなもんつけて食べても、ご飯が美味しくもなんともないわ。」 「でも、佐藤さん、歯がないと噛めないでしょう?」 延々とそういうやり取りを聞かされる。まったく、言うことを聞かない。 年を取ると頑固なものだ。 「佐藤さんは、おかゆにしないとダメね。」 ナースステーション前で看護士同士が困り顔で話していた。 ナースステーションの前をガラガラと点滴を押しながらトイレに行くと、エレベーターに乗っておかっぱの女の子が同じく点滴をガラガラと押しながらやってきた。小さいのに可哀想。 彼女はアイコちゃん。心臓が悪いらしい。彼女はいつも、2階の小児病棟からエレベーターに乗って、3階に遊びにくるのだ。  佐藤さんは、アイコちゃんが来る時だけは、なぜか正気に戻る。かわいい孫のことでも思い出すのだろうか。 「あらあ、アイコちゃん、いらっしゃーい。」 先程までご飯を食べてないとダダをこねてた人とは思えない。 「こんにちは。おばあちゃん。」 佐藤さんは目を細めて、かわいいねえ、とアイコちゃんの頭を撫でる。  アイコちゃんは、誰が見ても天使のように可愛い。陰鬱な病室がぱあっと花が咲いたように明るくなる。 佐藤さんもアイコちゃんを可愛がるし、またアイコちゃんも佐藤さんに懐いていた。早く彼女が退院できたらいいのに。私は不憫に思った。アイコちゃんが来る間だけは、佐藤さんが大人しくなる。普通にお婆ちゃんと孫がお話をしているように、微笑ましい光景だ。折り紙を教えたり、お話を聞かせたり。 「じゃあねえ、おばあちゃん、ばいばーい。」 一通り遊んでもらって満足したのか、自分の病室へと帰って行った。  その晩もやはり佐藤さんの叫び声が響く。 「看護婦さあ~ん、ご飯まだあ?」 もう、何時だと思ってんのよ。私は布団を頭から被る。 「おや?これを?私にくれるのかい?ありがとうよー。」 そう言いながら、佐藤さんが何かを咀嚼している音がする。 「おいしいねえ。もぐもぐ。おいしいおいしい。」 私は訝しく思い、隣のカーテンに映る影を見た。 佐藤さんが体をベッドから起こして、口にさかんに何かを運んで食べている。 誰かが食べ物を与えているようだ。
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