第1章 桜

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一応、ひと通りの家事を終えた桂月がひと息ついたのは昼前だった。 「もうこんな時間かぁ……お昼の支度どうしよ……」 日曜と祝祭日にしか、母と一緒に昼食をとったことがない彼女は、平日はどうしているのかひとまず桃香に聞いてみることにした。 書斎のドアをノックするとすぐ返事があり、声をかけてからドアを開ける。 所狭し、と洋書の原本や翻訳した本が本棚いっぱいに並べてある。 6畳ほどの書斎は本棚と机、ファックス付きの家電があるくらいだ。 今時パソコンもない、翻訳家なんているのかと思うが、ここにいる。 「母上、お昼はどーすんの?」 南向きの窓から降り注ぐ陽射しが気を抜くと眠気を誘いそうなほど、部屋の空気は暖かい。 その太陽光を横目に受けながら机に向かい、原稿にペンを走らせていた桃香はピタっと手を止め、時計を確認した。 「食べるんだったらなにか作るけど?」 桂月の申し出に思わずホロリとくる母。 一瞬考えて、片手で食べられる物がいいなと所望した。 普段は自分ひとりなため、ついつい昼食を抜いてコーヒー一杯とかで済ましてしまう。娘というのは何とありがたいものなのか、などと柄にもなく感動してしまったのは仕方がないかもしれない。 「了解」 パタパタとキッチンに戻っているだろう足音を聞きながら母は思う。 本当にその時期なのかしら、と。 赤い瞳が「兆し」であることは間違いない。 しかし、目覚めは完璧ではなく、本来ならもう少し遅くても良いはずなのだ。 桂月の成長を見続けてきたのだから確実に変化しているのは分かる。 少しずつだが自然界に敏感になっているということが何を示すのか、それも理解している。 桂月にとって、彼女自身の心の中で明確な心情変化がない限り、それは眠り続けたはずだったのに。 それは、好きな異性が出来た、惹かれるものが在る、などとにかく熱中出来るもの。 それがあれば度合いによって、時間差はあれど目覚めるのだ。 ただ、いまの彼女を見ている限りそんな兆候はないように思う。 では原因はどこにあるのか……。 気づけない自分が歯がゆく、せめて感応力がもっと強ければ、と願わずにはいられない桃香だった。
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