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あの晩のことを忘れることは、ずっとないだろう。
あんなに綺麗な桜を見せられたのだから。
いつもと変わらない日常が来ると願って。
あの日、水波は何を考えていたのだろうか。ただ、桜を眺め、憎まれ口も叩かず。
一体、なにを思っていたのだろう。
「兄ちゃん、まいど~」
「っふふ、また懲りずに買ってる」
「るせぇ、ぶった斬るぞ」
店のじいちゃんから箱に詰まったたい焼きを受け取り、変わらぬ蒼井を睨んだ。
蒼井は「おー怖い怖い」とだけ言って、にこやかに笑った。
「水波に会うのは一ヶ月ぶり、かな?」
「まあ、そんくらいだろ」
水波とあの綺麗な桜を見た次の日から、水波は多忙の為、ずっと会えなかった。
なにがあったのか。
それは分からないが、なんとなく察しのつくことだった。
町の雰囲気だ。
一か月前と違い、ピリピリとした空気が流れている。一見変わらないが、変わっている。
戦が近いと言われている気分だ。
確かに平和じゃない世の中なので、戦などいつ起きてもおかしくはないのだ。
それでも、
戦とは嫌なものだ。
沢山の血が流れるのだから。
「平和じゃねぇな」
「そうだね。
まあそれでも、避けれないのだから仕方ないよ」
それはもう諦めに近かった。
勝てる見込みはない。
だから一人でも多くの命を救いたいと、心のどこかで白井は思っていた。
白井だって、この一ヶ月。
なにもしていないわけではない。
胸の苦しさの原因は分かっていないが、医療を両親から学んだ。
医者になるつもりは無いが、知識はあっても困るものでもないから。
蒼井も蒼井で、なにかしらはしていたようなのだし。
白井はたい焼きを抱えたまま、水波の屋敷の前に立った。屋敷の門を問答無用で潜り、ズカズカと水波の部屋にへと向かう。
静まり返った屋敷だ。
人気が感じられない。
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