第1章

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歌うことは難しくないという内容の歌を聴いて、その気になって歌ってみると歌うことの難しさに気づかされる。 その歌の歌詞の本質は歌うことではなく、その歌を誰かに届けることは難しくないということを言っているのはわかる。 技術論ではないということです。 つまり、ものを書いて誰かに届けるのは難しいことではない。ただ、その気になって書いてみると書くことの難しさに気づかされる。ということ。 突然観たことのない映画の話で恐縮だが、ろくでなしの親父がいて(たぶん、ジム・キャリーが演じていた気がする)、想像で幼い頃の主人公に物語を紡いで、そのろくでなしの親父が死ぬとき、自分の紡いだ物語のキャラクターたちに見送られながら死んでいく。親父を見送る主人公の傍らには、ろくでなしの親父の生み出したおそらくろくでもない、だがすばらしいキャラクターたちが主人公のその後の人生を彩る。あ、完全に途中からは妄想なんだけど、そんな映画があったような気がする。 本当の自分の親父も、もの書きになりたかったそうだ。その夢はかなったという話はきかない。もう10年以上音信不通だ。 人生は夢じゃない。という歌の一節がある。確かに人生は夢と同義ではない。夢は人生の伴走者みたいなもので、走るのをやめたときに夢もまたその歩みを止めるのだろう。 夢なんて大仰なものではないけれども、自分も書きたい、つくりたい、紡ぎたい。物語を、誰のためでもない自分の人生を彩るために。そう思うようになった。 どんな表現媒体も、確かな技術とアイディアに裏打ちされたものだけが後世に残る。ただ、自分も自分が生み出した言葉と、いつか誰かひとりでもその人生とリンクしてくれたら、それは拙い物語だとしても最高の物語だと思う。そう思うようになった。 書こう、めちゃくちゃで、稚拙で、下世話な物語を。それが自分の人生になり、誰かの人生になるような物語を。
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