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女は私の部屋を探しているようだった。
ひとつずつ確かめるように止まっては進み、うろうろと足音が動いているのがわかる。このアパートは上下で四部屋ずつ。居場所を突き止められるのも時間の問題だろう。さっきとは違って室内だというのに震えが止まらない。寒さではなく、私は女に恐れ慄いているのだとようやく知った。
足音は隣の部屋の前まで近づいて来た。すぐにこの部屋まで迫っている絶望に涙が溢れてくる。
(お母さん…)
縋る思いで、声には出さず唇で呼んだ。
その時だ。階段を上がってくる誰かの足音が聞こえて、はっと呼吸を潜める。まさか、女の仲間なのだろうか。様子を伺っていると隣の部屋のドアに鍵を挿す音がして、住人が帰って来たのだとドアの閉まる音で知ることができた。しかし、通路にはあの女が居たはずだ。何も起こらないのはどうしてだろうか。
そっと、恐る恐るドアについている覗き穴に目を近づけた。少なくとも、この部屋の前には誰もいない。
逃げきれた。そう分かった瞬間、体の力が抜けて尻餅をついてしまった。膝が笑ってしまってうまく立ち上がれそうにない。
びしょ濡れになってしまった髪を払いのけて、膝を抱え込む。恐ろしい出来事を体験してしまって、いつも一人で居ることに慣れているはずなのに今この時ばかりは誰かの気配を感じていたかった。壁が薄いせいで隣から聞こえてくる生活音が唯一の救いだろう。
ブーツを脱いで脱力感に身を任せていると、隣の住人が再びドアを開ける音がした。買い物にでも出かけるのだろうか。
よろよろと立ち上がって、お風呂を入れようとバスルームのドアを開けた。全力で走ったせいでひとつひとつの動作に力が入らないみたいだ。浴槽を流すのも億劫でシャワーで濡らすだけの作業を呆然としていたところに、めったに鳴ることのないチャイムが狭い部屋に響く。
先程までのこともあり、慎重にドアの向こうを覗き見ると知らない男がそこに居た。いつもの私だったら居留守を使っているだろうが、今日は何故か訪問者の存在が有り難い。
ゆっくりとドアを開けて、びくびくしながら男に目を向けた。
「七白華さんですか?」
「え、ええ。はい。どうして名前を?」
押し売りか何かだろうか。訝しく返事をすると、その男は隣に住んでいる者だと言う。ドアについている郵便受けに私宛の手紙が入っていたらしく、念のために確認をしたのだと続けた。
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