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灰色に埋め尽くされた空が光るのと、はっと息の詰まるのは同じ瞬間だった。
曇天は次々流れて風の強さを感じさせる。道路沿いの、何という名前かは知らない植木が葉を揺らして騒めいて。それが、どうしてか己の体の中を逸らせていくのだ。
雲に覆われた空は明かりを閉ざし、夕暮れ時に尚も暗く重たい空気を漂わせる。まるで触れてはいけない”何か”がこの先に待ち受けているぞ、と言うように。
頬に滴が落ちてくる。それはまばらに、不規則な間隔を短くして乾いたアスファルトを濃く染め上げた。
「早く、帰らないと」
予報通りの天気を鬱陶しく睨み付け、持っていた傘を開くことにした。自宅まではまだ距離がある。濡れたくはない。
霧吹きのような雨から段々と本格的に降り出し、歩く先に水たまりが増えていく。
近道をしようか―。確かこの先に普段は夕方になると暗くて使わない、裏路地のようなところがあることを思い出した。ちょうどその道を使った突き当りを右に曲がれば住み着いているアパートだ。
いつもの道に背を向け、一人が通るといっぱいになってしまった路地を急いで駆け抜ける。きっと五分もあればたどり着けるだろう。
「…えっ」
道の先――つまり、突き当りのところを曲がる反対側に女が立っていた。雨脚の速くなったこんな日に傘も差さず、俯いてそこに居る。いくつだろう?長い髪を結い上げて綺麗な簪を挿している彼女は、顔を見ることはできないけれど、着ている着物から覗く手は透き通るほどに白く滑らかだ。おそらく二十後半か。あんなに綺麗な着物を濡らしてしまうなんて勿体ない、と純粋にそう思った。
しかしまあ、こんな手入れもされていない路地に居るなんて。それも土砂降りの日に、傘も差さなければ帰ることもしないとは。何か訳があるんだろうと思い、見て見ぬふりをすることを選ぶ。巻き込まれては敵わない、というのが本音のところだ。たぶん、そう感じるのは己だけではないはず。
そそくさと前を通り、さっさ帰って晩御飯の支度をしようと冷蔵庫の中を思い浮かべた。
「……」
「え、なに」
誰かに声をかけられた気がした。
進めていた足をとめ、見まわそうとした時だ。
『…私の…――を、返して』
女の声が頭の中で低く唸るように響いた。
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