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……物事がついたのは、いつだっただろう。一番古い記憶にあるのは、優しい父と母の顔だ。言葉が話せるようになると、立って歩けるようになると、会話が出来るようになると……両親は決まって喜んだ。両親が喜ぶ度、少女も嬉しくなった。父はあまり家にはいなかったが、その分母に甘え、帰ってきた父は娘を熟愛し、そんな母が、父が、少女は大好きだった。
嬉しいことがあったり、怒ったり……興奮すると、背中からびょこんと生える黒い翼。それをする度に困ったように父は笑い、母は優しく叱った。この黒い羽は何か、と少女は聞いたことがあった。それは、お父さんとお母さん子供の証よ、と教えられた。黒い羽の正体よりも、その言葉が何だかとても嬉しかった。
その黒い羽は、お父さんとお母さんとあなただけの秘密よ、と母は言った。何でかわからなかったが、二人がそう言うならそうしようと思った。父のことも大好きだが、いつも一緒にいる母のことはもしかしたら父以上に大好きだったかもしれない。だから、母の言うことは信じられた。母の存在は、少女にとっては絶対だった。
……だから、生まれてから一度も、外に出たことがないのも何の疑問も持たなかった。
いや、一度もというのは語弊がある。正確には、父が帰ってきた時以外は一度も、だ。父はいつもどこかへ出掛けていて、たまに帰ってきたら外に連れ出してくれる。だが、それ以外……父が家にいない間は、少女は外に出たことがない。一人ではもちろん、母と二人でも一度も。
お父さんがいる時はお外に行けるのに何で?聞いたことがある。母は優しい笑顔で、ただダメだと告げた。疑問はあったが、母の言うことは絶対だ。だから、少女はそれを受け入れた。
母も外に出ている時、少女は家に一人ぼっちだ。家の窓の外から、同い年くらいの子供達が遊んでいるのが見える。それをうらやましく思ったし、母に内緒で外に出ようと考えなかったことがなかったわけではない。だが、一人で外に出てはいけないと、母との『約束』は破れない。
父は、このことを知らない。父にも内緒だと言われたのだ。何でかはわからないが、『約束』なのだから仕方ない。『約束』は大事だと、母だけでなく父にも言われたことなのだから。
多少の不自由はあった。だが温かい家庭と、優しい両親。その頃の少女……バランダは、幸せな日々を感じていた。
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