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その日を境に、母は変わってしまった。何がきっかけといえば、あの夜、ロムとの会話が起爆剤になったのは確かだ。だが、あくまできっかけにすぎない。前々から、溜まっていたものがあの日を境に、溢れ出したのだ。
父がいなくなり、またしばらくは母との生活が続く。いつも通り、いつも通りだ。ただ違うのは……些細なことをきっかけに、母がバランダに暴力を振るうようになったことだ。例えば食器を割れば、以前ならば叱りながらもその表情は優しいものだった。だがあの日からは、食器を割るとビンタが飛んでくるようになった。
「おかあ……さん?」
初めて叩かれたとき、幼き少女は痛みよりも悲しみよりも、最初に感じたのは『自分は何をされたのか』という感情だった。今まで叩かれたことなどなく、そんなことをしなかった母がどうして?
その頃の母は、いっぱいいっぱいだった。娘への愛情は確かにあったはずだ。だが、娘のために、娘のために頑張ることがどんどん自分へのストレスとして返ってくる。それが普通の子ならばまだ子育てにやり甲斐こそ感じるもあろうが、娘は『普通』ではないのだ。もしも誰かにバレたら……その恐怖が頭から離れない。
それは、娘のことを気にしているのか。それとも自分の体裁を気にしているのか。それは、どちらかもわからなかった。
初めて娘に手を上げた。そんなこと今までしたこともなかったし、考えたこともなかった。それが、何の前触れもなく……ただ感情に任せるままに、手を出していた。
その時感じたのは、娘に手を出したショックでも、悲しみでも、後悔でもなかった。ただ一つ、感じたもの……それは母としては信じがたく、しかし確かに心の中に湧き上がったのだ。
……それは、『高揚』だった。娘に手を出した、その事実に……母はどうしようもない胸の高まりを覚えていた。娘に手を上げ、興奮していたのだ。
それから母は、事あるごとに娘に暴力を振るった。気に入らないこと、ムカついたこと……それらは娘へ暴力という形となって送られる。生活を支えるために昼夜問わず働き尽くす、たった一人で。溜まったストレスは、必然と娘に向かう。
娘のために働き、そこで溜まったストレスを娘にぶつける。何とも、皮肉な話だ。
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