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城を抑えるのは、とりあえず、うまくいった。
しかし、懸念が韓忠には残った。
他の二人の様子がなにやらおかしい。
趙弘は開城後の処刑の後、なにやらぶつぶつと呟くようになった。
そして、黄巾に所属していない者の名前を呼ぶようになった。
孫夏を『健土』と呼んだり、孫仲を『伯考』と呼んだ。他にも、何人もの『いない人間』の名で、仲間を呼んだ。
しかし、まだこちらはいい方だ。
趙弘の指示は理に適ったものだし、名前の呼び違いなど、目を瞑っても良かった。
問題は総指揮官の張曼成だ。
日がな一日、ボーッとしている。
裁可を仰ごうにも、こちらの話を聞いているのかいないのか、生返事を返すばかりとなった。
しかし、ここで止まってもいられない。
韓忠は張曼成、趙弘の小方長も借りて、北方三城に攻撃を仕掛けた。
万を越す軍勢に、三城は戦わずして降伏した。
逃げ出す民も多かったが、そちらは深追いをさせなかった。
ことここに至っては、情報の漏洩は気にすることではなかった。
逆に、情報が漏れ出すことで、洛陽には動揺が走り、北や東の黄巾軍が、動きやすくなるはずだ。
三月三十一日。
北方三城を落とし、守備兵を配置し、連絡手段を構築した韓忠が、宛城に戻った。
しかし、他の二将は、未だ、闇の中にいた。
四幕 了
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