彼岸の章

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谷では、一人の少女が群集と対峙していた。 沢山の異形どもに囲まれて、独鈷のような得物を振るう彼女の左頬には、見事な紅い曼珠沙華の彫物があった。 葦原のような湿地帯をヤチという。西葦原は山と山の間隙にあった。 土地の者は、谷のことはヤトという。 昔から、湿地帯や谷、沢には、蛇神が棲息していた。蛇は脱皮を繰り返す為、死と生を循環する不老不死の神霊だと考えられていた。 人々は、霊力を持った存在を畏怖しながらも、尊重し、信仰の対象としていたのだ。 だが、人々の関心が他所に移り、薄れていく内に、いつしか角の生えた蛇の姿をした神は零落していく。 邪な、神でありながら神ではなくなってしまったもの。 魍魎は、群れで現れた。 手始めに、開墾途中の田などを蹂躙するといった作業の妨害がなされていたようだ。 西葦原に辿り着いた錫杖の男は、群集の中に呑み込まれそうになりながら、彫物の少女の姿を目で追っていた。合間に、実は既に参戦している男へと束になって襲ってくる角の生えた蛇の体を、錫杖で突き上げる。 手にした古びた錫杖の卒塔婆型部に、素槍が仕込まれていたのだ。 湿地を埋め尽くす勢いの視界を見渡すが、便りを寄越した役人の姿はどこにも見えない。 よもや、早々に亡き者となっている訳ではあるまい。 「役人はどこに行ったんだ」 「水辺の人柱と最後のお別れをしているはずだよ」
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