落ちない果実

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アイザック・ニュートンが落ちる林檎から万有引力を見出したように、全ての謎は身近に始まっている。しかし僕には、どうして僕が魔女について研究を始めたのか思い出すことができない。 この夏、研究に行き詰まった。行き詰まることはこれまでにも数え切れないほどあったが、今回は、もう年が暮れてはじめている。そこで初心に立ち帰るという意味も込め、数年ぶりに正月を実家で過ごそうと決めてから、はたと思い至ったのである。 ーー僕の魔女研究は、どこからはじまったんだろうか。 「魔女」はいない。これが、僕の魔女研究での立場だ。無論、「魔女」と呼ばれた人々が古代より存在したということは否定するつもりも、できるはずもないが、世間一般に認識されている「魔女」、つまり、「魔法」ないしは「魔術」の類を自在巧みに使いこなす人種ーー人ではないのかもしれないがーーは存在しない。これは別段変わった主張ではない。むしろ、「魔女は存在する!」と声高に触れ回る研究者こそ馬鹿げている。かつて人々に呼ばれた「魔法」は、今や医学となり、化学となり、薬学となり、多様な学問となって、魔法の存在を主張する研究者に比べ立派に社会貢献している。 錬金術師や魔女、預言者といったものの信憑性は、既に爪の先ほどもないのだ。 母が言うには、僕が中学生になる頃には魔女について調べはじめていたようだ。30年近く前の僕が、サンタクロースを信じているような純真な少年であったことは疑いもしなかったが、「魔女」の存在を信じるような愚鈍な少年であったことには耳を疑った。サンタクロースはいても、流石に「魔女」はいないだろう。実際、僕が子どもの頃には、クリスマスの朝にはいつの間にやら欲しかったオモチャが枕元に置いてあったわけだから、信じるのも無理はない。あの厳格な父が、息子を喜ばせるためだけにこっそりプレゼントを置いていくのだ。その親の心こそが「サンタクロース」に違いない。だが、「魔女」はそうではない。
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