第1章 真夜中のパイドパイパー

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 停滞している。神楽坂愛里は悩んでいた。  成功の秘訣とは何だろうか。昔の彼女ならば、成功を10の項目に分けると、そのうちの6を努力が占め、残りの4はその人の生まれ持った才能とか才覚とかが占めるのだと熱弁しただろう。それは、遺伝子が占める割合を本人の努力の割合の方が上回っている――つまり、努力すればだいたいのことは実現できるということだ。  青臭くて、純粋で、希望に満ち溢れたそんな生温い考えを恥ずかしげもなく語っていた。語るだけではない。実践した。努力こそが成功の元という戦旗を掲げたのだ。負けるわけにはいかない。努力を馬鹿にする人間に対する戦だった。 「私はいつかノーベル賞を取ってみせる」  敵は大きい方がいい。負ける気はしなかった。  小さい頃から彼女はよく勉学に励んだ。彼女の出身はいわゆる辺境の地で、大自然があると言えば聞こえはいいが、産業という産業もなく、“ど”が付くほどの田舎であった。周りの子供達はみんなして家業を継いで農家や漁師になることを宿命づけられており、たいていが勉強という行為を嫌がり、とにかく野山を駆け巡ることに生きがいを感じていたし、親や教師もそれを微笑ましく思っていた。  神楽坂愛里(かぐらざかあいり)はそういったマジョリティからは外れていた。農家の両親や親戚達は、彼女に勉強をするなとも言えず、視力が低下するとともに分厚くなっていく彼女の眼鏡を買い替える度にため息をついていた。里を愛す――両親が彼女の名をどう思って付けたのかは定かではなかったが、どうやら名は体を表すの成語の通りにはならなかったようだった。  リケジョ(理系の女子)という言葉がテレビやネットで流行り始めたとき、彼女は理解した。自分はリケジョであると。高校生になったばかりの頃だった。勉強のしすぎで、渋谷の109と書かれたビルを見れば、109は素数であると意味もなく喜び、遠くに見える山の稜線を二次関数に見立てて式を作った。これがリケジョでなくて何になる。  彼女はなおいっそう勉強に打ち込み、ついには名門・東央大学の農学部へと入学したのだった。もちろん、反対も多かった。彼女の故郷では大学に行った者などほとんどいなかったのだ。特に女子では。
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